メルマガ「健二がゆく 〜志士迷走記録〜」バックナンバー
ケーニッヒさん(写真下、94年の研修旅行にて)は、横浜にある東京横浜独逸学園のグラウンドを使って指導者講習会を実施することを計画していた。既に講習会の名簿には、「坂本」の名前が載せられていた。...
1993年にJリーグが立ち上がり、いきなりドイツにあるような地域スポーツクラブを目指す、これから日本全国で作っていくことが世の中へ打ち出された(少なくともサッカー界では)。そのこと自体は喜ぶべきことではあったものの、坂本自身にとってはそれに対して具体的に何をするのか?どう地域スポーツクラブと関わっていくのか?それまでに何も考えていなかった、まったく何も準備していなかったことがはっきりした瞬間でもあった。
ドイツでの1週間の指導者のための研修ツアーへ参加した坂本だったが、そもそも坂本は指導者になるつもりはなかった。「なるつもりはなかった」と書くと少々意味が強過ぎるが、指導者として活動することは坂本の頭の中では、まったく予定されていない人生(事柄)だった。...
ドイツからの帰りの飛行機の中、ツアー参加者へ恒例のアンケートが配られた。フランクフルト空港を飛び立ってからもう数時間経ち、食事を終え眠りにつく人もちらほら現れていた。 アンケートに答えるのがことのほか好きな坂本は、少し眠い気持ちを抑えながらバッグの中からペンを探し出し、答えを記入していった。...