メルマガ「健二がゆく 〜志士迷走記録〜」バックナンバー

第11話【風雲編】ミュンヘンの語学学校 文法指導の達人
 1998年6月に坂本はドイツへ渡り、9月から小学生5、6年生のサッカーチームを任された。その順調過ぎるとも言える環境の中で一番問題となったのは、何と言っても「言葉の問題」、そうドイツ語の能力だった。  そんな中1998年8月4日から、語学学校「Deutschcolleg...
第10話【風雲編】アウェイの試合 選手たちが行方不明
「君たちがU15じゃないんだったら、今日我々が対戦する相手チームじゃないよ。ここに居る選手たちはU15だ。U13じゃない」  坂本が監督を務めるTSVイッフェルドルフU13のアウェイの試合会場で、その場に居合わせた相手クラブの他の年代のチームの監督さんの口からこぼれた回答だった。...
第9話【風雲編】コーチ  ビンズィーの誕生
 ある時坂本は所属するクラブTSVイッフェルドルフから近くのレストランへ、夕飯を食べるために立ち寄った。店内はドイツでスタンダードなカードゲーム「スカート」に興じる客で埋まっていて、カードを出す度テーブルを叩いて、みんがゲームに夢中だった。...
第8話【風雲編】ホームゲームでメンバー不足?
 1998年6月にドイツへ渡った坂本は、その3カ月後すぐに総合型地域スポーツクラブTSVイッフェルドルフでDユース・チーム(小学校5、6年生、下の写真を参照)の監督を引き受ける幸運(不運?)に恵まれていた。そして、まだシーズン1998/99が始まって間もない、ホームゲーム当日の出来事。坂本が予想もしなかった事態に陥る。...
第7話【風雲編】入れ墨と白い粉、危ういチーム運営
 ムルナウからペンツベルクへ移り住み、入ったアパートの隣人夫婦が毎週末にテラスで酒盛りをしている。そしてそこへほぼ毎週のように現れ、一緒に参加しているのがハンス。実は彼は隣人夫婦の奥さん、ハイディの元夫だった。...
第6話【風雲編】恐怖の電話と謎の白い粉
 ドイツ人サッカー指導者のケーニッヒさん(写真の右)からの提案により、坂本はドイツにおける居をムルナウからペンツベルクへ移す決心をした。距離的には車で20分くらいの移動だった。ケーニッヒさんに車で迎えに来てもらい、荷物を車へ積み込んで移動し、ドイツで最初の引越しはいとも簡単に終わった。...
第5話【風雲編】フランスW杯、いざドイツへ!
 坂本が念願のドイツ行きを決行したのは1998年6月、折しもフランスで16回目のW杯が開催され日本が初参加した時だった。  ドイツでの語学留学ビザを申請していた坂本は一旦ドイツへ降り立ち、ミュンヘンで数日過ごした後、パリへ移動した。そのフランスの首都には、坂本の学生時代のサッカー部の先輩が家族で住んでいたからだ。...
第4話【立志編】 助けられないもどかしさ
 ケーニッヒさん(写真下、94年の研修旅行にて)は、横浜にある東京横浜独逸学園のグラウンドを使って指導者講習会を実施することを計画していた。既に講習会の名簿には、「坂本」の名前が載せられていた。...
第3話【立志編】 ドイツへの足がかり
 1993年にJリーグが立ち上がり、いきなりドイツにあるような地域スポーツクラブを目指す、これから日本全国で作っていくことが世の中へ打ち出された(少なくともサッカー界では)。そのこと自体は喜ぶべきことではあったものの、坂本自身にとってはそれに対して具体的に何をするのか?どう地域スポーツクラブと関わっていくのか?それまでに何も考えていなかった、まったく何も準備していなかったことがはっきりした瞬間でもあった。
第2話【立志編】 サッカーの指導者になるだなんて
 ドイツでの1週間の指導者のための研修ツアーへ参加した坂本だったが、そもそも坂本は指導者になるつもりはなかった。「なるつもりはなかった」と書くと少々意味が強過ぎるが、指導者として活動することは坂本の頭の中では、まったく予定されていない人生(事柄)だった。...

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