第10話【風雲編】アウェイの試合 選手たちが行方不明


店主 坂本健二のドイツでの挑戦の記録 16年間の軌跡を時系列に沿って紐解いていく


隣村イッフェルドルフのオースター湖、この湖のそばにTSVイッフェルドルフがある 出典元:Die Osterseen
隣村イッフェルドルフのオースター湖、この湖のそばにTSVイッフェルドルフがある 出典元:Die Osterseen

やっとたどり着いたのに、違うの?


「君たちがU15じゃないんだったら、今日我々が対戦する相手チームじゃないよ。ここに居る選手たちはU15だ。U13じゃない」
 坂本が監督を務めるTSVイッフェルドルフU13のアウェイの試合会場で、その場に居合わせた相手クラブの他の年代のチームの監督さんの口からこぼれた回答だった。
 試合会場が直前に変更されていたようで、このグラウンドではないことが発覚した。すぐさま坂本とコーチのビンズィーは、急いで選手たちを待たせている駐車場へ戻ったが、そこで新たな問題に直面する。

選手を運んできた車が1台、消えた?!


 選手たちを乗せてきてくれた車が1台減っていたのだった。1人の保護者(ドライバー)が、何か用事があったか、試合が終わった頃にまた迎えに来ればいいと思ったのか、車ごとどこかへ消えてしまっていた。
 相手チームが待つ、変更された試合会場まで移動しなければならないが、車の数が足りない状況に陥ってしまった。試合会場も、確実にどことわかったわけでもないというのに。
 『えー、どうするか?』と坂本が考えていると、コーチのビンズィーはすぐさまその場の陣頭指揮に当たった。
ビンズィー「居なくなった車に乗っていたのは、誰と誰だ?」
選手A「はい」
選手B「俺も」
選手C「俺と、あとコービ」
ビンズィー「よし、お前たち4人はここで待ってろ!後で迎えに来る。いいか?絶対に、ここから動くなよ!」
 ビンズィーの手際のいい采配だった。選手4人を残して、3台の車がアウェイの正しい試合会場を目指して、移動を開始した。
ビンズィー「いいか、お前たち?絶対に、ここを離れるんじゃないぞ!」
 車の窓から、取り残された雰囲気を全身から漂わせた4人の選手たちへ、もう一度ほぼ警告にしか聞こえない言葉が発せられた。
 坂本の脳裏に嫌な予感が走る。何故なら4人の選手たちは皆、自分のバッグを持ち既に歩き始めていたからだった。
 もしここで試合会場の場所が間違いなくわかっていれば「この道をこの方向に、4人で一緒に歩いて来い」とも言えるところだが、何しろ向かうべきグラウンドの在り処はまだこの時点では誰にもわかってはいなかった。
 それはつまり、彼らが間違った方向へ歩き出せば、会場までの距離を自ら遠くしてしまう可能性もあることを意味していた。
坂本(後列左端)が指導するTSVイッフェルドルフD-ユース(U13)、後列右から3人目がコーチのビンズィー
坂本(後列左端)が指導するTSVイッフェルドルフD-ユース(U13)、後列右から3人目がコーチのビンズィー

試合会場は見つかったが、選手は10人!


 ビンズィーが運転する車を先頭にして、3台の車は走り始めた。坂本は、ビンズィーの車の助手席に座っていた。一行はさっき会った相手クラブのU15監督から聞いた場所へ移動しつつも、ビンズィーは違うグラウンドの可能性もあるとつぶやいた。時折車の窓から頭を出して、周辺の景色の中にグラウンドがないか?確認する。「確かこの辺りに前に来たことのあるグラウンドがあったと思うんだけどなぁ」と独り言を言いながら。
 しばらくしてグラウンドが見つかった。そこは、U15監督が教えてくれた場所だった。
 対戦相手の監督(U13)を見つけ、正しい試合会場が見つかったことを確認すると、ビンズィーはすぐにさっきのグラウンドへ車で向かった。坂本はそこに残り、試合の準備をその場に居る選手たちと始めた。
 更衣室へ入り、選手たちを着替えさせ、相手チームの監督から試合結果報告書(試合後バイエルン州サッカー協会へ提出)を受け取り、選手たちの名前を記入していった。
 やがてウォーミングアップを始めたが、ビンズィーと4人の選手たちはまだ試合会場へ姿を現していない。
 定刻となり、試合は10人で始められた。開始後しばらくして4人の選手たちも到着し、着替えた選手から1人をチームへ加えた。
 振り返ると、育成部長が配車リストを作成し、さらにキャプテンのお父さんであるビンズィーがコーチになってくれたにもかかわらず、坂本のチーム活動は平穏ではなかった。そして、もしこれらの問題を坂本自身が解決しなければならなかったとしたら、当時の語学力では大変な負荷となっていただろう。
ミュンヘンの語学学校で坂本(左端)のクラスを受け持ったフシュカ先生(写真中央)は、ミュンヘンで一番文法の説明が抜群に上手な先生であり、また無類のサッカー狂でもあった
ミュンヘンの語学学校で坂本(左端)のクラスを受け持ったフシュカ先生(写真中央)は、ミュンヘンで一番文法の説明が抜群に上手な先生であり、また無類のサッカー狂でもあった

ミュンヘンNo. 1の文法指導の達人との出会い


 さて、1998年6月にドイツへ渡った坂本のドイツ語の能力がまだまだだったと何度も書いてきたが、ここで坂本のドイツ語の勉強(習得)履歴について触れておこう。

 

 まず、卒業した国立東京工業高等専門学校において2年生から4年生まで3年間、毎週2回45分のリーダーの授業を受けていた。

 

 そして、ドイツ留学を具体的に考え始めてからベルリッツ吉祥寺校へ毎週土曜日に通い、毎回10時限(1時限=45分)の授業を受けた。教師側は2人で分担していて、前半5コマと後半5コマで先生が入れ替わった。

 大概3、4コマ目になると、部屋へ入ってきた先生が坂本と目を合わせるや否や、「また、あなたなの?」と言って、驚いた。

 

 ベルリッツでは最終的に、124コマの授業を受講。しかし、正直1日に10コマも立て続けに受けたため、1、2時限目に何を教わったのか?覚えていないことも多かった。とある奨学金制度に応募した場合、ベルリッツでの判定が求められるため、高い授業料の語学学校へ通うことにしていたが、その効果はあまりなかった。
 ドイツ語力を飛躍的に伸ばすことになったのは、ミュンヘンの語学学校へ通い始めてからである。クラスを受け持ったフシュカ先生(写真中央)が、文法の説明が抜群に上手な先生であり、坂本にとって大きな幸運だった。    つづく