第5話【風雲編】フランスW杯、いざドイツへ!


店主 坂本健二のドイツでの挑戦の記録 16年間の軌跡を時系列に沿って紐解いていく


ゲーテインスティテュート ムルナウ校の初心者コースの記念写真、後列左端が講師(彼以外は全員生徒)
ゲーテインスティテュート ムルナウ校の初心者コースの記念写真、後列左端が講師(彼以外は全員生徒)

フランスW杯「日本対ジャマイカ」観戦、日本の初ゴール


 坂本が念願のドイツ行きを決行したのは1998年6月、折しもフランスで16回目のW杯が開催され日本が初参加した時だった。

 

 ドイツでの語学留学ビザを申請していた坂本は一旦ドイツへ降り立ち、ミュンヘンで数日過ごした後、パリへ移動した。そのフランスの首都には、坂本の学生時代のサッカー部の先輩が家族で住んでいたからだ。

 そして、W杯グループリーグ第3戦 日本対ジャマイカのチケット手配をお願いしていた。そして4年ごとの祭典が始まってから、チケット販売における問題が発覚した。FIFA(国際サッカー連盟)から依頼を受けた販売コンサルタントがチケットを空売りしていたため、チケットがあったはずなのに無いという信じ難き真実が明るみへと浮上した。当然ながら坂本の先輩が買い求めていたチケットもこれに該当し、あえなく消えてしまった。

 

 しかしながら日本企業で働く坂本の先輩は仕事先の関係者を当たり、リヨンの会社の社長さんがチケットを3枚持っていることを突き止め、何とか譲ってもらえる交渉に成功した。それも有難いことに、チケットに書かれている額面通りの値段で。メデイアによれば日本戦のチケットを「62万円で買わないか?」と吹っかけられた日本人も居たとか。

 何れにしても「ついていた」としか言いようがない。3枚欲しかったところへ、丁度3枚余っているということだった。

 

 坂本は先輩たちと一緒にパリからリヨンへ移動し、日本が初めて出場するW杯の3戦目をスタジアムで観戦した。日本代表は前半を0対1で折り返したものの、後半9分に2失点目を喫した。そして、後半29分ゴン中山の日本人初ゴールが生まれた。残念だったのはまったく反対側のゴールで起こり、坂本たちが見ていた座席からは遠かったことだ。しかしながら、W杯での日本人初の得点を目の当たりにした坂本は、同じ日本人として誇らしく、とても嬉しく感じたのだった。

 

 アルゼンチンとクロアチアにそれぞれ0対1で破れ、グループリーグ最終戦も1対2で落とした日本は、この試合をもってW杯フランス大会からその姿を消し帰途に就いた。


決死のドイツへの帰り道、車中で入国審査?


 ドイツへ入り、その後フランスへW杯を見に行き、再びドイツへ戻る。日本を出発する直前にわかったことだが、滞在ビザが確定するまでの最長3カ月間、一旦ドイツへ入った後、帰国も含め隣国へ出てはいけない規則があることが発覚していた。

 

 坂本は鉄道を使いドイツへ戻ることを決めた。飛行機では、再度入国審査を受けることになるからである。とはいえ、フランスとドイツの国境において列車が止められ、乗客全員がチェックを受ける可能性も残っていた。「EU(欧州連合)になり、国境間の警備がなくなった」という情報もあったが、本当にそうなのか?は坂本にはわかっていなかった。

 

 ドキドキしながら夜行列車に乗った坂本は、ひたすら国境通過を待ちわびた。夜ではあったが緊張のため、とても眠る気にはなれなかった。

 列車はフランス最後の駅、そしてドイツで最初の駅でそれぞれ停車したが、結局国境を越えるチェックは一切なく、坂本はパスポートをバッグから出すこともなく無事ドイツへ戻ることに成功した。

 

 ドイツへ戻ると7月6日から、ムルナウ(バイエルン州南部)にあるゲーテインスティテュートという語学学校へ通った。初心者の一番下のクラスで、4週間のコースだった(一番上の写真を参照)。受講者は夏休みを利用して、世界各国から集まっていた。

 

 語学学校が始まって3日目の夜にはW杯準決勝クロアチア対フランス、7日目は決勝ブラジル対フランスの試合を、学生全員で学校の体育館で観戦した。対戦する国の出身者ももちろんその場に数人居て、彼らのことが羨ましい限りだった。


俺はMFだ。DFじゃない!


 語学学校のプログラムの中に、サッカー大会へ語学学校チームとして参加するというものがあり、当然坂本も参加した。

 その大会でまず、坂本がドイツへ来てから初めてとなる「大きなショック」を受けることとなる。語学学校チームは何とか11人集まり、現地へ行くと大会規程は7人制であったことを知り、坂本の所属する世界選抜チームは問題なく大会へ臨むことができた。

 

 ショックを受けたのは、試合が始まってボールが自分たちのものになった瞬間だった。事前の打ち合わせでは坂本はミッドフィールドでプレーすることに決まった。そのつもりで坂本はプレーしたが、相手からボールを奪う度に、信じなれない光景が坂本の目の前には広がった。日本では見かけない行動が。

 

 何と自陣に残っているのは、GKだけとなったのだ。ボールを持つとボールの周りの選手たちが相手ゴールへ近づくだけでなく、真面目な日本人以外全員が相手陣内へと雪崩れ込みゴールを奪おうと躍起になるのだった。

 その度ミッドフィールドを任されたはずの日本人は、スイーパーの位置までポジションを変えなければならなかった。『こいつら、危機意識ってものはないのか?』と坂本は思った。

 

 何試合かを経て、坂本は悟った。「キックオフ直前、日本人は『失点しないぞ!』が頭の中に浮かんでいるが、他国の人達は『点を取るぞ!』しか考えていない」ということを。発想がまったく逆であることに気付いた瞬間であった。

6カ月通ったミュンヘンの語学学校Deutschcolleg Häberleの初心者コースの記念写真、中央が「ミュンヘンNo. 1の文法の達人」ゲラルト・フシュカ先生
6カ月通ったミュンヘンの語学学校Deutschcolleg Häberleの初心者コースの記念写真、中央が「ミュンヘンNo. 1の文法の達人」ゲラルト・フシュカ先生

 ムルナウでの4週間のコースを終え、坂本はケーニッヒさんの提案でペンツベルクへ引っ越した。語学学校も、ミュンヘンへ通うことに予定を変更した(すぐ上の写真参照)。真ん中に座っているのが、ドイツ人講師フシュカさん。サッカー狂の先生だが、ミュンヘンで一番文法を教える達人でもあった。   つづく