第4話【立志編】 助けられないもどかしさ
 ケーニッヒさん(写真下、94年の研修旅行にて)は、横浜にある東京横浜独逸学園のグラウンドを使って指導者講習会を実施することを計画していた。既に講習会の名簿には、「坂本」の名前が載せられていた。...
踏切って、一旦停止しなくていい?
 ドイツへ行き、日本との違いに驚いた交通ルールの一つに、「踏切の渡り方」があります。ドイツでは踏切が開いているとき(遮断機が上がっていて、警報機が鳴っていなくて、赤いライトも点滅していない)、車はそのまま走行できます。止まらずに。徐行の必要さえありません。踏切のある道路は30 km/hから50...
何を目指してプレーするのか?
 1998年6月にドイツへ行き、その後合計すると16年間ドイツに住み、サッカーを自らプレーし、また主には19歳以下のチームを指導しました。その経験から感じたこと、特に1998年に住み始めてすぐのドイツサッカーの印象は、「ゴールから逆算してプレーしていること」でした。...
レストランでの注文の順番
 ドイツに16年間住んでいた際に、私をいろいろな方たちが訪れてくれました。親、兄弟、親戚、同級生、職場の元同僚、友達、サッカーを通じての知り合いなど。訪問を受けた際には当然、一緒にレストランやカフェに行くことになります。そのときにこのテーマの問題が勃発します。...
パン屋さんと肉屋さんはストレスのもと?弱肉強食がドイツの真の姿?
 日本人がドイツで暮らしたとき、一番面食らうのはパン屋さんと肉屋さんでの買い物ではないでしょうか?その大きな問題は「注文する順番」に原因があります。...
第3話【立志編】 ドイツへの足がかり
 1993年にJリーグが立ち上がり、いきなりドイツにあるような地域スポーツクラブを目指す、これから日本全国で作っていくことが世の中へ打ち出された(少なくともサッカー界では)。そのこと自体は喜ぶべきことではあったものの、坂本自身にとってはそれに対して具体的に何をするのか?どう地域スポーツクラブと関わっていくのか?それまでに何も考えていなかった、まったく何も準備していなかったことがはっきりした瞬間でもあった。
第2話【立志編】 サッカーの指導者になるだなんて
 ドイツでの1週間の指導者のための研修ツアーへ参加した坂本だったが、そもそも坂本は指導者になるつもりはなかった。「なるつもりはなかった」と書くと少々意味が強過ぎるが、指導者として活動することは坂本の頭の中では、まったく予定されていない人生(事柄)だった。...
ゆりかごから墓場まで
 ドイツに住んでいた私(店主)の所に、夏休みを利用して38日間、中学生が超短期留学をしたことがありました。そしてそのドイツに居る彼を訪れる親戚の方が来るということで、急きょミュンヘンでの美味しいレストランを探すことになりました。...
第1話【立志編】 1週間の指導者研修ドイツ・ツアー
 ドイツからの帰りの飛行機の中、ツアー参加者へ恒例のアンケートが配られた。フランクフルト空港を飛び立ってからもう数時間経ち、食事を終え眠りにつく人もちらほら現れていた。    アンケートに答えるのがことのほか好きな坂本は、少し眠い気持ちを抑えながらバッグの中からペンを探し出し、答えを記入していった。...
サッカー指導 · 03日 12月 2022
日本代表チームの変貌
なぜ日本代表がワールドカップの大舞台で、大きな変貌を遂げているのか?ドイツ在住歴16年の経験から、その謎に迫ります

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