1月下旬からオンラインサロン「モダンなサッカー指導 〜世界基準を目指して〜」を始め、メルマガにドイツでの16年にも及ぶ滞在記を書き出したことから、1998年6月にドイツへ渡ったときのことをいろいろ思い出しました。サッカーに関連していることも関係ないことも含め異国の地ドイツへ渡り、いろいろと『えっ?』と思ったことがありました。今回はそのことについて、少し書いてみたいと思います。
まず上記の写真がゲーテインスティテュート ムルナウ校という語学学校の初心者クラスでの記念撮影の写真です。残念ながら生徒数の激減から、もう10年以上前に廃校となり、学校は取り壊され現在は一般の住宅が建ち並んでいます。
さて、メルマガでこの初心者クラスの写真を見てまず最初に思い出しのは、荷物の運搬でした。語学学校へ通うだけでなく、ドイツへサッカー留学し1年住むことを予定していたわけですから、私はある程度の荷物を持っていました。記憶が正しければ、確か荷物はみかん箱くらいの段ボール箱が4つだったと思います。
4つの段ボール箱を私は、事前に語学学校へ日本から送っておきました。語学学校初日に、その荷物を学校で受け取りました。問題は、4週間宿泊するとある家の離れの部屋までどうやって運ぶか?でした。
学校で荷物を渡され思案にくれていると、学校からクモの子を散らしたかのように大量の生徒たちが出てきました。私の立ちすくむ様子を見て「運んでやるよ」と言ってくれる人が何人か居て、「ありがとう」と答えたら、すぐさまかついで彼らは歩き始めました。
『どこまで持って行ってくれるものやら?』とは思いましたが、結局誰にお願いすることもなく荷物3つはどのクラスの何さんだかはわからないけれども、日本からの段ボール箱を軽々と持ち上げ、運んでもらえました。最後の段ボール箱を自分で持ち、私もクモの子の1匹となり歩き始めました。
やがて村の中心部の交差点へ差し掛かったとき、人生において忘れもしない出来事が起こりました。「じゃ、ここに置くね」と言ったか否や、持っていた段ボール箱を地面に置いて、少なくともその信号まで「優しい人世界一」の彼はそのまま去って行きました。『えっ?ちょっと待って』と思わないうちに、次の荷物も、その次の荷物も同様の結果。あっという間もなく、3つの段ボール箱が地面に並びました。運び手だけでなく、クモの子たちも皆その信号を後にして3方に分かれて進み、やがて私と荷物の周りには誰も居なくなりました。
『どうしよう?一人じゃ4つの段ボール箱は持てない』。数分前に語学学校の校舎の前で悩んでいたまったく同じ問題が一度は解決できたと思えたものの、まるでブーメランのように旋回して、また私の身に降りかかってきました。
仕方ないので、タクシーを呼ぶことにしました。留学早々、痛い出費です。自分が泊まる家まではその交差点から、おそらく700 m〜800 mだったでしょう。短い距離でしたが、一人ではどうにもならないことに直面することとなりました。いくつかを運び、残りを置いていった場合、誰かに盗まれてもまた困ってしまう。
そしてさらに困ったのは、タクシー会社職員からの当然の質問「そんで、あなたは今どこに居ますか?」、この村へ来て二日目の私には、自分が今立っている場所の住所もわからないし、土地勘もない。迎えに来てもらう場所の説明に、とても苦労したことをよく覚えています。何しろすべてドイツ語で説明しなければならなかったのですから、語学学校の初心者コースの学生である私が。
このコースの集合写真から次に思い出されるのは、授業中に配られた課題「3コマ漫画」での1シーンです。4コマ漫画ではなく、なぜか3コマでした。たまたま隣同士に座った3人に対して、一つの3コマ漫画が渡され、「その漫画へ台詞を書き込みなさい」というのが課題でした。
配られるや否や左に座っていたブロンドの女性が用紙を先生から受け取り、一人で台詞を書き始めました。3人の真ん中の私も、私の右に座っていたアメリカ人女性も、まだその課題を見ていません。すると次の瞬間、ブロンドの女性が「私が2コマ書いたので、あなた達二人で最後の一コマ埋めてよ」と言いながら用紙を私達へ突き出しました。
呆気に取られた我々日米同盟は、そこから初めて漫画を見て、そしてブロンド女性が書いた台詞を読み込み理解すること始めなければなりませんでした。最後の一コマの漫画を見て、『んー、どうつなげられるって言うんだ?日本風に解釈すれば、最後の一コマで落とすんだけど、どうこの流れを笑いに持ち込めるのだろう?』と思いました。右のアメリカ人女性とも顔を見合わせましたが、彼女も同感の表情。
『3コマあったら普通、まずどういうストーリーが考えられるか?設定して、それぞれのコマでの配分や役割を決め、それから書き込むものではないのか?』少々怒りにも近い感情が湧いてきたことを覚えています。アメリカ人女性と話し合いながら、なんとか最後に残されていた一コマでの台詞を書き込みましたが、全体的にまとまり感のないものに仕上がったことは明らかなことでした。
さて以上二つの実際の体験を通して、物事への対処の仕方が日本人と外国人と大きく違うことに気づかされました。
荷物を持ってくれた人達にはもちろん感謝の気持ちはあるけれども、途中で道端へ置いて去っていってしまうのは、どういうことなのか?
授業での課題の2/3を一人で処理してくれたことには有り難いと思うけれども、肝心要の最後のコマの担当をまだ課題に目も通してもいない他の二人へ投げるという行為は一体何であるのか?
『外国人というのは、「見通し」を持たないのか?』という疑問が湧きました。
「見通しを持つ」で思い出すのは1994年のクラマーさんの言葉「今日本チーム(上の写真で赤いユニフォーム)が攻めているゴールを取り除いても、彼らは試合を続けるよ。反対に、ドイツチーム(水色)が攻めているゴールを外すとすぐにゲームは止まり、「今そのゴール使ってるから、動かさないで!」と言うはずだ」です。
上記の試合はミュンヘンにあるシュポルトシューレ・オーバーハッヒングで行われ、千葉から来た小学生のチームとシュポルトシューレで開かれていた1週間のサッカー教室に参加している子供たちの対戦でした。
クラマーさんが言いたかったことは、ゴール(アクションとしてはシュート)から逆算してプレーするドイツ人はゴールマウスを動かすとすぐに気付くが、ゴールをあげることよりもボール回しに気が向いてしまっている日本人はなかなかゴールがなくなってしまっていることには気づかない、ということです。
私がムルナウという村で体験した2件「段ボール箱置き去り事件」と「最後のコマ任せた事件」とは、まったく逆の内容である。一体どうして、日本人と外国人と考え方が違うのだろうか?
つい最近、ある朝犬の散歩中に歩道を歩いていると、反対側から小学校1年生くらいの男の子が歩いていることに気付きました。彼は手を挙げて道を渡っていました。私と犬もそのT字路に差し掛かろうとしたとき、車も自転車も、人ですらその付近には存在していないことがわかりました。
『彼は一体何に対して、手を挙げていたのだろうか?』という疑問が湧きました。「状況を見ずに形だけを整えている」姿勢が見て取れた瞬間でした。おそらく親と学校の先生から「道を渡るときは、必ず手を挙げて渡りなさい」と言われているから取った行動であろうことは理解できます。そして彼がまだ幼いことを考えれば、「車や自転車を見落としていることもあるから、常に手を挙げさせることは決して悪いことではない」という解釈へも、もちろん理解を示すことができます。
しかし、どこかサッカーにも通じることだと感じました。「足元に(パスを)出せ!」というコーチからの指導を受け、ともかく味方の足元へボールを出す癖が付いてしまいがちな我々日本人。トラップも自分の前に(足元に)取り敢えず止め、それからやおら顔を上げ周りの状況を確認し、ツータッチ目で蹴り易いように(足元にボールがあると蹴りにくいため)いずれかの方向へボールを動かし、スリータッチ目でようやくパスを出す、シュートを打つ。一方ドイツ人の選手は、ワンタッチ目で次のプレーに必要な場所へボールを止める(あるいは運ぶ)ことを習得している。
このような日本人とドイツ人が直接対戦すれば、当然『ドイツ人はどことなくプレーが速く、追いつけない』という感想が日本人選手から漏れてくることを想像するのは簡単なことである。
分野とレベルは違えども、緊急事態宣言を発令すべき事態にあっても、蔓延防止等重点措置ばかり繰り出す日本政府もどこか似ているように私の目には映ってしまいます。現実を正視し、判断を下す。日本人にとって、苦手な思考過程なのだろうか?
最後にミュンヘンの語学学校で出会った先生(下の写真で中央)の言葉を紹介して、このブログを締め括りたいと思います。彼はミュンヘンで一番ドイツ語の文法を教えることが上手な先生だと、業界で評価されている優秀な方です。大のサッカー狂でもあります。
「信号待ちをしているとき、赤でも左右を見て車などが来ていなければ、私は道を渡るよ。でも、もし自分の近くに子供が居たら、信号が青になるまで一緒に待つよ」
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