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日本代表チームの変貌

ドイツ対日本 75分MF堂安選手の同点弾が炸裂。MF三苫選手が得意のドリブル開始かと思いきや、タイミンングよく前に飛び出したMF南野選手への縦パスを選択する。ゴールライン直前からのシュートのようなセンタリングがゴール前へ、ボールにいち早く反応していたFW浅野選手へボールが渡るのを阻止するためGKノイアーは必死のフィスティング。こぼれたボールを拾ったのは詰めていたMF堂安選手だった 映像出典:ABEMA TV


日本代表チームに外国人?


「日本代表が外国人が集まったチームになったとき、初めて強くなると思っています」

 

とあるJリーグクラブの元社長さんと吉祥寺の落ち着いた雰囲気の喫茶店で23年ぶりに会い、思い出話から始まりいろいろと話す中、話題がW杯に差し掛かったとき、ふと私の口からこぼれた言葉でした。

 

 当然、すぐに切り返されます。

 

「坂本さん、だって日本代表は日本人で構成されるチームなんだから、外国人は入れないでしょ」

 

もちろん元社長さんの言うことが正しい。

 

 カタールでのワールドカップが始まる前、「死のグループに入った」、「優勝経験のあるスペインやドイツに勝てるわけがない」など多くのメディアで取り沙汰されましたが、いざ大会のふたを開けてみると、そこにはまったく違う結果が待ち受けていました。

 ドイツを破り、スペインも破り、コスタリカにこそつまづいてしまったものの、強豪国二つを相手にどちらも逆転劇を演じるという、今までの日本代表では信じられない試合運びが展開されました。

 

 なぜそんな快進撃が起きているのか?グループリーグを終え、決勝トーナメントが始まる前に、今感じていることを書いておきたいと思います。

ドイツ対日本 83分FW浅野選手の神技のような逆点弾が決まる。DF板倉選手が蹴ったフリーキックはポワーンと高く舞い上がり、FW浅野選手のところへゆっくりと落ちてくる。ドイツのDFシュロッターベックが追いかけるも、それを振り払うかのようにFW浅野選手はファーストタッチから強引に前への突進を開始。ボールに触る度にスピードを上げ、スリータッチ目で技ありのシュート。ボールはGKノイアーの肩口を抜けた 映像出典:ABEMA TV


外国人気質を持ち合わせた日本人


 上述の「外国人が集まったチーム」というのは、もちろん間違った表現です。サッカーはラグビーとは違い、国籍を持っている国でなければ、選手はその代表チームでプレーすることは許されないからです。

 では何が言いたかったのか?「外国人のように振る舞う日本人選手が集まったチーム」と表現したかったのです。言い換えれば「外国人気質を持ち合わせた日本人選手が集まったチーム」、つまり「外国人のようにプレーできる日本人選手が集まったチーム」のことです。

 

 ではその「外国人のように振る舞う日本人選手」とは何でしょうか?三つ、思い当たります。

 

  1. サッカーにおける世界基準を理解している
  2. 結果を重視する習性をマスターしている
  3. 外国語を操り、現地の人たちとコミュニケーションが取れる

 

 1の「サッカーにおける世界基準を理解している」は、世界のサッカーの現況を知っている、まさにそのモダンなサッカーを普段、クラブでプレーしている、ということです。

 

 ここ最近世界のサッカーは、チーム戦術が著しい進化を遂げています。「世界基準」が何か?の詳しい説明については、私が尊敬する「異端のアナリスト」こと庄司 悟さんの記事を読んでいただきたいと思います。日本経済新聞の記事を参考に紹介します。

 ちなみに庄司さんは、ドイツ在住歴が私の倍(33年)以上の大先輩であり、私が2015年に帰国してから知り合いましたが、以後いつも懇意にしてもらっています。

 

   日本経済新聞 2022年11月21日

     サッカー日本代表、ドイツ攻略法はブンデスリーガにあり


世界基準を理解している


 2の「結果を重視する習性」とは、海外旅行でもいいので、渡航先で現地人とスポーツで対戦したことのある人であれば、何のことか?理解してもらえると思います。私自身が1998年にドイツへ移住し、地元のクラブでサッカーを始めたとき、『たった一回の練習なのに、まるでW杯の決勝を戦っているかのように、ゴリゴリとプレーしてくるんだな』と感じ、ショックを受けたことを今も忘れません。

 

 スポーツをすれば必ず結果が出る、端的には「勝敗」ですね。その結果はどうせならいい方を持ちたい、つまり「勝利」をつかみたい。これがドイツ人の単純で、且つ明快な志向だと思っています。

 ですからプレー中、常に勝ちにこだわったプレーに徹します。サッカーで言えば、ゴールすることから逆算してそこへ持っていくために、自分ができる最大限のプレーをそれぞれが試みます。

 

 皆さんにもっとわかりやすく説明するには、たぶんこんな例がいいのかも知れません。

 

 会社の慰安旅行か友達同士の遠出で、旅館に泊まっています。夕食のため食堂へと移動する途中で、ふと見た庭に卓球台があるのを見つけました。「おい食事の後、みんなで卓球やろうぜ!」となりました。

 夕食後、旅館からラケットとボールを借りて、にわかに卓球大会が始まります。旅館ですから、全員スリッパでプレーしています。一通り全員の肩慣らしが終わると「試合、するか?」となり、チーム分けして対抗戦が始まります。

 そのプレーの中で、最初はお互い普通にプレーして勝敗を分けていたものの、途中からボールをカットしてボールがテーブルの上でツーバウンドするような短いボールによる、いわば奇襲がラリーの間に挟まれるようになります。

 このとき、カットばかりで応戦したり、身体(あるいは目線)は右を向いているのに、左へ打ってみたりするプレーを続け得点を重ねていると、こんな言葉を浴びることとなります。

「坂本さん、ずりーよー。ケチくせーな、なんか」

 

 きっと皆さんもご経験があるのではないでしょうか?スリッパを履いているため、突然の短いボールにはなかなか反応できません。ですから、こんな感想(文句?言いがかり?)が、相手チームからこぼれて来るのです。

 

 ドイツでは、この感想も文句も、一切出てきません。すべてはルールに基づいているため、誰も短いボールを拾えなくても、相手のプレーぶりをなじるようなことは言いません。それどころか、もっともっと相手をだまくらかしてポイントを取ろうと、いろいろな奇策を編み出し必死に、勝つことに専念してプレーします。

 ともかくドイツ人は、勝つことに真っ直ぐなのです。「勝利」で達成感を味わいたいので、何としても勝ちたいのです。日本人はどうでしょう?たまたま泊まった旅館での卓球の夕べ、対戦相手は同僚、あるいは親友、『誰が勝ったっていいじゃないか?楽しければいいさ』という考えが根底にあるのではないでしょうか?

 

 ちなみに我々日本人は「疲労」で達成感を味わいます。ですからサービス残業をしてしまいがちなのです。ドイツ人にしてみれば、とても考えられないことでしょう。「銭ももらえへんのに、働く奴なんか、おるか?」、ドイツ人と関西人は似ていると思っています。

 私自身ドイツにあるドイツ企業で約13年働きましたが、定時になるとみんな、蜘蛛の子を散らしたかのように、会社を後にします。気持ちがいいくらい、それは見事に!

 


結果を重視する習性(国民性)


  最後に3の「外国語を操り、現地の人たちとコミュニケーション」は、久保選手や三苫選手に代表されるように、海外のクラブで活躍する選手たちは現地の言葉、あるいは英語を話し、現地のメディアのインタビューに選手自身が直接答えるようになりつつあります。現地で活躍するために、これは大きいです。

 

 私は通訳をした経験から、やはり当たり前なのですが、母国語で本音がぽろっと漏れるシーンにでくわしたことがあります。ドイツ人は英語を流暢に話すため、英語でもコミュニケーションは十分に取れるのですが、肝腎要のことになるとやはり感情をついて出て来るのは、母国語であるドイツ語です。

 通訳としては、その言葉を拾って主催者へ伝えておいた方がいいのかどうか?迷ってしまう事態にすら陥ったりもします。

 

 私がドイツへ渡ったのは、サッカーの指導者ライセンスを取得したかったからであり、その講習会、そして試験はすべてドイツ語で行われました。バイエルン州サッカー協会が決めた参加者の条件は、18歳以上でドイツ語の読み書きと会話ができることとなっています。

 ですから私は東京高専で3年間学んだ、錆び付いたドイツ語を、改めてミュンヘンの語学学校で学び直し、普段の生活もサッカーにおける場面でも、すべては実地で身に付けていきました。まさに「習うより、慣れろ」の世界でした。

 

 改めて16年間のドイツ滞在を振り返ってみると、ドイツ語の習得が進み言葉ができるようになると、視野が広がったと思います。長い滞在の始まりは1998年のW杯フランス大会でしたが、それ以前1990年、1994年にも、ドイツを訪れたことがありました。このときはそれぞれ1週間くらいの滞在であり、もちろん旅行者としてです。繰り返しになりますが、当時のドイツ語能力は卒業した高専の毎週2時限のリーダーからの、しかもその残骸のみであり、カタコトをしゃべれるかどうか?といった状態でした。

 

 その当時ツーリストとしてドイツの街を歩いたときと、ドイツ語が上達してから(ドイツに住みながら)街を歩いたときとを比較すると、視野において大きな差があると感じます。やはりドイツ語がおぼつかないときは、周りで何を話しているのか?わからないため気持ちがおどおどしていて、ビクついて歩いていたため視野が狭まっていました。このことにその当時は気付きませんが、言葉が自由になるにつれ、昔の自分と比較すると、その違いを感じることができます。

 おそらくサッカーのプレー中も、同じことが当てはまると思います。言葉ができれば、周りの仲間の動き、相手の企みなど、察知できることが増えるはずです。

 

 私がドイツに居た頃、どこで聞きつけたのか?私を頼って来る日本人の若いサッカー選手がたくさん居ました。「来シーズン4部リーグか、5部リーグのクラブでやりたいと考えているのですが、坂本さん、どこか紹介してもらえないでしょうか?」判で押したように、彼らの要望はいつも同じでした。

 しかしながら、誰もがドイツ語を習得しておらず、また学ぶ気もない様子に、私はいつも驚くと共に、そのわがままな考え方と生き方に憤りを覚えたこともありました。「郷にいれば郷に従え」、あるいは「多勢に無勢」。我々日本人がドイツで生きていくにあたりドイツ語を習得せずして、果たしてどう戦えるというのでしょうか。

 

 ブンデスリーガなど、世界のリーグで活躍したいのであれば、現地の言葉を話すのは当たり前です。それができなければサッカーも上達することなく、普段の生活から人として何も学ぶことなく、日本へ帰ることになるのは自明の理であり必至です。

 これからの選手には、外国語を操り、現地クラブで十分にコミュニケーションを取り、世界の最先端を行くサッカーを身に付けて、日本へ持ち帰ってもらいたいと心から願っています。

 そして指導陣やチームメイトとコミュニケーションが十分に取れていると、その方が今現在、現地のリーグで活躍できるはずです。それも、気持ち良く!


外国語を操ると、視野が広がる


 2014年のW杯ブラジル大会の開催直前、私は日本代表が旋風を巻き起こすものと期待に胸躍らせていました。しかしながらその期待は、完全に裏切られる結果となりました。

 なぜそんなにも期待したのか?それは23名の代表選手たちの半分以上、12名の選手が海外でプレーしていたからでした。

 

 しかし今回のカタール大会を見ていて、ようやくその期待を裏切られた理由がわかりました。今の日本代表が強いのは、ほぼ全員が海外でプレーしているからです。つまり半分では、足りなかったのです。

 

 その具体的な例が、ドイツ戦、スペイン戦の試合で、はっきりと現れています。どちらの試合も相手に先制され、追いつかなければならない状況でした。後半控えの選手を投入し試合の流れを日本へと引き寄せ、同点弾、逆転弾を打ち込みました。

 

 その後半大活躍して、試合をひっくり返す立役者となった選手たちが、やはり海外でプレーする選手たちなのです。つまり、日本代表チーム丸ごと、外国人の気質を知った、あるいはもう外国人となってしまった連中ばかりなのです(私は自称「半分ドイツ人」と主張中)。この点が決定的に、2014年の日本代表チームの状態とは違っていると思います。

 

 言い換えれば、今はジョーカーがチーム内に、うじゃうじゃ存在しているのです。誰を先発させるのか?どの11人と始めればこの試合を有利に進められるのか?だけでなく、誰を後から出して、試合の流れを引き寄せるか?という視点においても、該当する選手がたくさん存在しており、実際の試合の流れに合わせてケース・バイ・ケースで誰をジョーカーにするか?選ぶことさえできる。この選手層の厚さこそが、現在の日本代表チームの快進撃の元になっていると思います。

 

 さぁ、今回の日本代表はどこまで行くのでしょう?あと何度、「ブラボー!」と叫べるのでしょうか?楽しみですね。