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日本人指導者が指導中に犯しやすい過ち


陥り易い過ち 国民気質のせい?


 指導計画書(1回の練習内容)を作成する際あらかじめ決めたテーマに沿い、ウォーミングアップから始まり難易度を段階的に上げていき、最終的に試合形式での練習を行い、その日のテーマの習得度を確認します。

 このようにテーマを持って練習に臨み(テーマに絞って)集中的にプレーを繰り返し、間違いを経験・認識し、正解となる解決策たちを個人として、グループとして、チームとして見つけていきます。これらの習得までの過程が練習だけで完結する場合もありますが、多くは試合も含め、練習と試合を何度も繰り返す中で課題となった技術や戦術を習得していきます。


 上記を読んで『当たり前だろ!』と思われていると想像しますが、ここで二つの間違いを我々日本人指導者は起こし易いと感じています。どちらも我々の国民気質と深い関係があると感じています。

 

 一つ目は、どうしても全体を見てしまうこと。例えば「トラップ」を練習のテーマに設定したにもかかわらず、その後のアクションであるドリブルやシュートが気になってしまい、あとで振り返ってみると実際に選手たちへ助言したのはシュートに対するものが多かった、というようなことを経験されたことはないでしょうか?

 ドイツ人指導者であれば、練習形式の中の一連の動きの中でトラップの良し悪しだけを注視し、素晴らしいプレーは褒め、良くないプレーは練習を中断させ説明を行います。必要であれば、さらに自らのデモンストレーションを加え、選手たちに具体的にいいプレーを示します。

 そんな練習の仕方を見たとき、もしそのドイツ人指導者にインタビューしたとしたら、きっとこんな答えが返ってくるのではないか?と思いました。「シュートのことは、シュートをテーマにした練習のときに教えるよ」と。


全体を見ない!重点=焦点!


  私がかつて講師を務めた指導者講習会で、こんな質問を受けたことがありました。「私は、小学生の場合まんべんなくあらゆる技術を習得する必要があると思っているので、一回の練習をすべてトラップに費やしてしまうのは、(偏っていて)おかしいと感じます」という内容のものでした。

 「私も小学生時代は、あらゆることをまんべんなく練習し、大方習得することが大切だと思っています。ただ「まんべんなく」の実行の仕方において、勘違いされていると思います。私が今日の講義と実技を通して皆さんへ伝えたかったのは、1回の練習の中でまんべんなくたくさんの技術に触れさせることではなく、今日は「トラップ」、次の日の練習は「シュート」、来週の練習は「パス」というように『まんべんなく』やっていくことを意味していました。仮に一つの練習の中にいくつもの技術要素の習得を目標としたプログラムを実行したとすると、どの要素も練習はしてみたが、どれも習得できていない状態のまま、それぞれにおいてあまり進歩が見られないということが引き起こってくると思います」と答えました。

 

 日本人は、バランス感覚に優れていると思っています(少なくとも、ドイツ人と比較すると)。ですから、どうしても総合評価に走ってしまいがちです。もちろん、試合は「総合評価」です。例えば、試合中に選手がどんなに素晴らしいトラップを披露した(会場に集まった人達が息を飲み、どよめくような)としても、その後のシュートがゴール枠を捉えず、結果的に試合終了時チームとして1点も挙げることができていなければ、その試合で勝つことはできません。

 しかし練習においては、「トラップ」をテーマにしておきながら「シュート」にばかりアドバイスを与えていたら、肝心の「トラップ」技術の向上はなかなか実現できないでしょう。

 

 一般的なチームの練習を見てみると、一回の練習の中にたくさんの目標が用意されていることケースを多く見かけます(例:パス、ヘディング、1対1、シュートなど)。日本サッカー協会もドイツサッカー協会も、1回の練習テーマとしては一つか二つが望ましいと、かなり前から提唱しています。指導者ライセンス取得のための各指導者講習会においても、受講者たちは指導計画書に一つの練習テーマに沿って計画書を作成しています。

 しかしながら、普段の練習では(指導者講習会から帰ってくると)、いろいろな要素の練習を混ぜてしまっています。何故だかはわかりませんが、選手たちの立場に立てば、一つの練習にそもそもテーマがいくつもあり、練習形式を変える度にテーマも変わるとしたら、それぞれのテーマにおいて習熟度を上げることはなかなか難しいこと、いや無理難題と言っても過言ではないでしょう。

 二つ目は、ダメ出しを忘れてしまうこと。これについては、どうしてそうなってしまうのか?は、残念ながら今の私からは説明がつきません。私も、少なくとも98年にドイツへ渡るまでは、上手にできていなかったはずなのですが。

 5年前に帰国してから、都内のとあるクラブで指導者の指導をお願いされ、実施したことがあります。指導者が担当しているチームの練習を行い、私が一部始終を見ていて、練習後に良かった点、悪かった点、修正案などについて指導者と話し合う形式で行われました。

 練習にはテーマが設定されていて、その重点に沿っていくつかの練習形式が計画されていました。選手たちがテーマを習得できるように、難易度も段階的に上げてあり、徐々に試合形式へと導かれた素晴らしい計画書でした。

 残念だったのは、練習中にダメ出しがとても少なく、軌道修正がほとんどなかったことでした。予定していた練習形式を選手たちが理解できず、計画とは違った内容を実行していても指導者は一切止めず、練習はそのまま進行していきました。(本来ならここで、私がアドバイザーとして指導者を飛び越して練習を止め、計画通りの練習を実行させるべく選手たちの行動を修正するべき場面でしたが、クラブとの事前の打ち合わせによりシンクロで私が直接修正を行なってしまうと、担当指導者への選手たちからの信頼が損なわれる危険性があるため「それは行わない」ということに取り決めていたため、口を挟むことはできませんでした。)

 

 「Noと言えない日本人」であることが深く関わっているように思います。今インターネットで調べてみると、こんな文章が見つかりました。常川啓介さんが書かれた文章です。

 

日本人は「NO」と言えないのではなく、「漠然とした返答をすることで、穏便に物事を進めたい」のだ。日本は、常に「礼儀」を重んじ「他人」を尊重する文化。常に相手の気持ちを気遣い行動することが美徳とされる。


「No」と言える日本人になろう!


  サッカーに限らずスポーツは、数学ほどではないにしろ、「だいたい」では事が進みません。例えば、「正解のプレー」が連続しなければ、ゴールを挙げることはできません。前述の例で言えば、ゴールに繋がる動作としての「トラップ」、それがどんな仕様のものでなければならないのか?正確に選手たちへ伝えなければなりません。そのためには、「ダメ出し」は必須となります。多くの場合、修正することを繰り返し選手たちのプレーが改善され、試合で使える、実際の場面で生きる「トラップ」を実現させることができます。

 

 技術だけでなく、戦術においても細かな要素や約束事が多く存在するものであり、それらをチームに徹底させなければ、監督の思い描いた戦術がフィールドで展開されることはありません。

 

 「ダメ出し」を行うには、ともすると勇気や信念が必要になるのかも知れません。そしてこのときに、もう一つ重要なものがあります。それは、理由を明確に説明し、選手たちに理解してもらうことです。きちんとした理解がなければ、選手たちは誤った方法を何度でも繰り返します。

 試合中に「何やってんだよ!いっつも同じこと、間違ってんじゃねーかー?」と怒鳴るコーチを見かけることがありますが、この怒りの対象となったプレーは十中八九、選手たちが指導者の指摘していることを理解していないことに起因していると思われます。

 

 例えば、子供が道路をいきなり渡ろうとした際に、我々大人(多くの場合、親)がその子供へ何と言うでしょうか?「ダメ!今渡っちゃ!」、「道路にすぐ出ちゃ、危ないよ!」、「「左右を見てから」って、いつも言ってるでしょ?」ではないでしょうか?これらの文章は文法的に分類すると、ほとんどが命令文です。

 そして、ここで不足しているのは、理由の説明です。何故道路際で立ち止まらなければならないのか?そして、左右を見るのか?左右に首を振って、一体何を確認するのか?

 受け止められる年齢であればさらに、もし立ち止まることもなく、左右を確認することもなく道路へ飛び出したとしたら、何が起きるのか?車に跳ねられたら、どうなるのか?そのことを知った家族はどう思うのか?具体的に説明を行えば、子供たちも何故大人が大きな声で怒鳴るのか?どれだけの大事を引き起こさないために言ってくれているのか?理解できると私は信じています。

 

 サッカーに、話を戻しましょう。ダメだったプレーに焦点を当て、どうダメだったのか?何故ダメなのか?他にどんな方法(改善策)が考えられるのか?を選手たちと一緒に考え、探り、「次回からはこうしてみよう」というポジティブな取り決め(約束)をすることが大切だと思っています。もし練習の場面であったならば、その今しがた見つけた改善策から再開してプレーを続行してみることが一番いいと思います。