何を目指してプレーするのか?


ドイツと日本、2カ国の間で驚くほど違う、『えっ?そうなの?』の数々を一つ一つご紹介していきます


小学生チームによる「ドイツ対日本」の試合、右上では「日本サッカーの父」ことクラマーさんも観戦している
小学生チームによる「ドイツ対日本」の試合、右上では「日本サッカーの父」ことクラマーさんも観戦している

 1998年6月にドイツへ行き、その後合計すると16年間ドイツに住み、サッカーを自らプレーし、また主には19歳以下のチームを指導しました。その経験から感じたこと、特に1998年に住み始めてすぐのドイツサッカーの印象は、「ゴールから逆算してプレーしていること」でした。

 

 まず最初に日本人と外国人の違いに直面したのは、Murnau(ムルナウ、バイエルン州)でのFeldturnier(フェルトゥトゥーニア、ミニサッカー大会)でした。私がプレーしたのは、自分も4週間通った語学学校Goethe Institut(ゲーテインスティテュート、ミュンヘンに本社を持つ語学学校)の学生を集めて構成されたチームでした。

 7人制のサッカーで、私は中盤(ミッドフィールダー)としてプレーしました。というか、中盤としてプレーするはずでした。試合が始まる前までは。

 

 試合が始まって、一体何が起きたのか?ゲーテインスティテュートのチームがボールを持つと、チームとして攻撃するわけですが、あっという間もないうちに私の後ろに居る選手たちが次々と相手陣へと上がっていき、いつしか気付くと私の後ろには自分たちのGK(ゴールキーパー)一人しか居ません。

 そう、試合前のミーティングとは裏腹に、試合中私は事実上のCB(センターバック)と化していたのです。その時に思いました、『日本人はキックオフ前に『さぁ、どうやって失点しないで済ませられるかな?』と考えるけれども、外国人は『さぁ、どうやって得点するか?』と考えているものだ』と。

 

 ゴールへの意欲の差を感じた出来事でした。ちなみにこの語学学校のチームには、ドイツ人は含まれていません。なぜなら全員ドイツ語を外国語として学ぶ学生たちでしたので。

ミュンヘンのシュポルトシューレを訪れた際、丁度施設の完成具合を見に来ていたクラマーさんとばったり
ミュンヘンのシュポルトシューレを訪れた際、丁度施設の完成具合を見に来ていたクラマーさんとばったり

試合で使っているゴールを撤去?


 そして次に思い出されるのは、1994年8月にドイツへ指導者研修で行った際に、ミュンヘンのSportschule(シュポルトシューレ、スポーツ研修施設)で偶然出くわした、いや奇跡的に出会えた「日本サッカーの父」ことデットマー・クラマーさんの言葉です。

 

 一番上の写真にあるように、我々日本の指導者一行がシュポルトシューレへ着いたとき、ちょうど千葉県市川市のチーム(赤)とシュポルトシューレで開催されていたサッカーキャンプに参加していた子供たちで構成されたチーム(水色)による試合が行われていました。

 

 フィールド横で試合を観戦している我々日本人指導者に向かって、クラマーさんが解説してくれたことは、

 

「今日本チームが攻めているゴールを撤去してしまっても、彼らは攻撃をそのまま続けるだろう。反対に、ドイツチームが攻めているゴールをどこかへ移動しようとすると、すぐにプレーが止まり「ちょっとそのゴール、今使ってるんだから持ってかないでよ」と子供たちは言うはずだ」

 

でした。

 

 1998年夏から、ドイツに着くや否やすぐに、住んでいた町Penzberg(ペンツベルク市)の隣村にあるTSV Iffeldorf(テー・エス・ファウ イッフェルドルフ)のクラブ会員となり、O32のチームで自分自身サッカーをプレーし、U13(D-ユース、小学校5年と6年)の監督となりました。

 10月になるともう完全に冬で、雪も降るためO32の練習はホテルの体育館で行われました。小さな体育館でフットサルのフィールドがやっと取れるか?取れないか?の大きさで、ゴールはハンドボールのゴールでした。

 

クラマーさんの家が、自分の住んでいるペンツベルク市からそう遠くないことを知り、車を飛ばし会いに行く
クラマーさんの家が、自分の住んでいるペンツベルク市からそう遠くないことを知り、車を飛ばし会いに行く

よろよろしたドリブル、でもシュートは?


 O32でゲームを行なっていると、各選手のシュートにかける意気込みの強さに、これまた驚きを覚えました。32歳以上とはいえ、30代や40代の選手だけでなく、50代の選手たちも混じっています。正直言ってドリブルが少々よろけ気味にゆらゆらしていても、ゴールを狙うシュートの瞬間だけ、ボールを強く蹴ることにすべての要素が一致し、あらん限りの力のこもった、ほとばしるようなボールがゴールへ飛んでいくことに、とても驚きました。そしてさらに、外す人がいないことにも。

 もちろん相手GKに止められてしまうこともありましたが、ともかくゴール枠を外れることがなく、しかも(繰り返しにはなりますが)とても強いボールが打たれていました。直前のドリブルの様子からは想像もできないシュートの強さです。

 

 日本であれば、ともすると『自分がシュートを打ってもいいのかな?』などと考えてしまいがちですが、ドイツ人はまったく迷うことなく、さっぱりと(きっぱりと?)ゴールを狙うことにも感銘を受けました。

 その体育館での練習から、自分の中にあるシュートを打つ判断に勇気を持てるようになったと思っています。今でも振り返ると、『積極的にシュートを打ち、ゴールを狙おう!』と考えるようになった、出発点だったと思います。

 

 以上のようにドイツ人は、成果(ゴール)を出すために努力をします。我々日本人は目標はあったはずなのに、いつしか途中の過程(作業プロセス)での出来事だけに気を取られてしまい、肝心の目標を見失いがちです。本来なら目標へ邁進していかなければならないのに、途中で方向性を忘れてしまい、目的を忘れて行動してしまうことがあります。

 

バイエルン州サッカー協会が指定した教科書3冊の内の1冊。知らない単語ばかりで、読むためには日本語の注釈の嵐と化す
バイエルン州サッカー協会が指定した教科書3冊の内の1冊。知らない単語ばかりで、読むためには日本語の注釈の嵐と化す

勉強は、しておくもんだ!先手必勝?


  次に話は変わって、ここまで書いてきたこととは異を唱えるような内容になってしまいますが、ドイツ人は我々日本人よりも「姿勢」を重視します。何をやりたいのか?どうしたいと考えているのか?その人の方向性とそのための努力の積み重ねを重んじます。

 

 一つの例としては、1998年10月に初めて参加した指導者講習会での出来事でした。講義中にインストラクターが急に教科書を参加者へ見せたくなり、机の上に置いていた私の教科書を手に取り、彼が見せたいページを開きました。

 彼が手に取り開いたページはたまたま私が勉強していたところで、ドイツ語の単語訳がこれでもか?というほどの多さであちこち書き留められている見開きでした(写真を参照)。30人ほど居た参加者へ見せるためにたまたま手にした本でしたが、インストラクターは一瞬ギクッとした目で私の本を見つめ、それから高く掲げて参加者へ見せていました。

 

 翌年5月の3回目の講習会で試験が行われ、私は無事合格するわけですが、このときたまたまインストラクターが自分の勉強したページを見てくれたことが、好印象を与えたのではないか?と今でもこのシーンを思い出す度、そう思います。

 そしてドイツ人は、その人の姿勢を見て、その達成したいと願っていることを敬い、ともすれば協力してくれるのではないかと考えています。別段好印象だけで、指導者資格の試験にパスしたわけではありませんが。念のため。

 

 指導実技の試験においても、試験官は課題終了後すぐその場で短評を試験を受けている参加者へ伝えますが、ポジティブです。「どこがどう悪くてダメだ」ではなく、「どこをどう改善すると、もっと良くなる」という表現で説明してくれました。日本では酷評ばかりに終始するような話も聞きます。こんな所も、ドイツ人と日本人では違うようです。