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舞台裏の舞台裏

©️Amazon prime video

「坂本さんにぴったりのお仕事(独日翻訳)があるのですが、ご都合いかがでしょうか?」

 

 2021年6月、懇意にしてもらっている翻訳会社の女性社員の方から1通のメールが届きました。

 「ドイツ語の作品」、「サッカー」、「ドキュメンタリー」というキーワードしかそのメールでは伝えられなかったものの、判断を下すにはそれで十分でした。もちろん即座に、この案件を引き受けることを先方へ伝えました。

 その後自分で調べてみると、それがAmazonのオリジナル作品で、FCバイエルン・ミュンヘンのドキュメンタリーであることが判明しました。再度翻訳会社へメールを書きました。

 

「この案件に携われるチャンスをもらうことができ、心から感謝します。今年一番の仕事にします」と。


Amazon prime video「FCバイエルン・ミュンヘン 〜栄光の舞台裏〜」の独日翻訳


 この案件と出会えたこと、翻訳のチャンスをもらえたことは大変光栄なことでしたが、一方『この翻訳作業は、私以外の翻訳家へ渡ることがなく良かった』、言い換えると『私ほどこの作品の翻訳を行うのに、最適な人間は居ない』とも感じていました。

 なぜなら、自分はドイツサッカーに精通した人間であり、映像の中に出るくる土地はどこも実際に行ったことがあり、さらには何人かの出演者や関係者とは面と向かって会って話したことがあるからでした。

2013年6月29日、FCバイエルン・ミュンヘンの本拠地であるアリアンツ・アレーナにて行われたドイツ代表対なでしこジャパンの試合を観戦。私の隣に写っている美女二人は、私が4シーズン指導者をしていたミュンヘン東部のクラブSV Heimstettenを通じて知り合った姉妹

2015年2月17日、FCバイエルン・ミュンヘンの本拠地であるアリアンツ・アレーナの内部を見学ツアーで回りました。写真は、更衣室


この人、(私は)知ってる!


 翻訳作業の詳細は、ベルリンの会社が映像からテープ起こしを行い、ドイツ語の台本が作成されました。映像と台本を受け取った我々翻訳者(第1話、第3話、第4話、第6話が私の担当。第2話と第5話は他の翻訳者)が第1話から順次、映像と台本が届き次第独日翻訳を行っていきました。

 映像からのテープ起こしは、人間が行ったのか?機械が行ったのか?詳細はわかりませんが、入力ミスが所々に存在していました。コンマやドット(句読点)の漏れ、アテンションマーク(!)や疑問符(?)の抜けに始まり、スペルミス、さらには話者の取り違えもありました。だいぶ急がされての作業だったのか?とベルリンの作業者へ思いを馳せました。

 

 計4話を翻訳していく中で自分が話者を取り違えたこともありましたので、あまり大きな声では言えませんが、とある人物の名前が間違っていることに私が気づき、事なきを得たこともありました。

 それはドイツサッカーリーグ機構のCEOクリスィアン・ザイフェルト氏です。第4話でスーパーリーグ設立の話のくだりで登場しています。なぜ私が彼を知っているのか?というと、私がブンデスリーガ公式ホームページの編集を行なっている際に、彼と一緒に仕事をしたことがあったからでした。

 

 ドイツ代表チームが2014年、ブラジルで開催されたW杯で優勝しました。「優勝おめでとう!」の記事をブンデスリーガのホームページでも、各国語(ドイツ語、英語、スペイン語、ポーランド語、日本語)で一斉にオンラインへ出す企画が持ち上がりました。

 ドイツ語チームが記事を作成し、それを各国語に翻訳したものを各チームが用意しました。そしてオンラインへ出す指令を出したのが、前出のザイフェルト氏。ブラジルに居る彼からのメールを今か今かと待っていましたが、中々送られて来なかったのを今でも良く覚えています。

 さらにメールが届いたのですが、てっきり「出せ!出せ!今だ!記事をオンラインへ出せ!各国語、同時だぞ!」などという威勢のいい、短い命令文が書かれているものと思っていたのですが、送られて来た文章は、意外にだらだらとした2、3行もある文章で、『えっ?これって、記事を出せってこと?』と思ったのも、彼のことが強く印象に残った理由でした。

2013年〜2014年私は、ドイツのスポーツに特化したテレビ局「sport1」の契約社員として、ブンデスリーガ公式ホームページの日本語版サイトの編集に従事していました

2015年3月17日、FCバイエルン・ミュンヘンの練習をとある有名大学の教授と一緒に見学。当時の監督はペップ・グアルディオラ(フィールド内左から二人目、上下共赤いトレーニングウェアを着用)でした


歌うな、アラバ!それも替え歌?


 ドイツ代表選手のトーマス・ミュラーは正真正銘のコテコテのバイリッシュ(バイエルン州の方言)を喋りますし、オーストリア代表のダーヴィット・アラバに至っては、オーストリアのドイツ語(オーストリア語?)を話します。

 ベルリンのドイツ人にはこの二つの言語(ベルリンからすると、どちらも南方の「方言」)が理解できず、訳のわからないドイツ語が並んでいる箇所もいくつかありました。ともかくそのままではドイツ語として意味不明のため、翻訳することもできません。仕方なく映像へと立ち戻り、何回もその部分を繰り返し聞くしかありませんでした。多くの場合、アラバ選手の話すオーストリアのドイツ語はほとんどバイリッシュと似通っていて、なんとか真実(発言した言葉)を突き止めることができました。

 私はペンツベルク市というバイエルン州南部に位置するところに14年半住んでいましたので、ある程度のバイリッシュを聞き慣れていたことが、ここで功を奏したと言っていいと思います。ちなみに、バイリッシュの文法の本と辞書も現地の書店で購入し、今も持っています。

 

 ミュラーの選手代理人を務めているのが、かつてのバイエルンの選手でもあり、ドイツ代表だったルートヴィッヒ・クーグル。彼はペンツベルク市に住んでいるため、私は彼の息子さんを自分が担当していたチームFC Penzberg U17の中で指導したことがあります。

 息子さんの試合に彼は必ず観戦に来ていましたが、私の監督としての采配やチームの指導方法についての発言は、一切ありませんでした。プロ選手、それもバイエルンやスイスのFCルツァーンを渡り歩いた人であれば、またドイツ代表で活躍した選手であれば、息子のチームの監督に何か言ってやりたと思ったことも多々あったはずですが、彼は一言もそのことについて話したことはありません。なかなかできないことだと、つくづく思います。

 彼が世界選抜に選ばれ試合が近づくと、かつて彼自身もプレーしたFC Penzbergのグラウンドを走り、コンディションを整えていました。私がO32の練習へ参加していると、彼も一緒にゲームへ参加しました。彼はドリブルの上手な選手でしたが、対峙した私は一度も抜かれたことがありません。それだけが、自慢です。

 ちなみにFC Penzbergはかつて、ドイツの2部リーグに所属していたことがあり、その当時バイエルンは1部リーグを目指して昇格してる最中。ですからこのFC Penzbergの芝生で、バイエルンとの試合も公式戦として行われています。ほとんど観客席のない会場でしたが、フィールドの周り全体に3千人もの観客が押し寄せたと聞かされています。

 

 私にとって最悪な事態を迎えたのは、第6話でアラバ選手がバイエルン・ミュンヘンとしての最後の試合を前に、突如ある歌を歌い始めた瞬間でした。調べれば、オーストリアでは国家から数えて3番目に国民から愛されている曲だとのこと。翻訳は、その歌詞をインターネットで調べるところから始まりました。

 やがて歌詞は突き止められましたが、それが歌である以上、翻訳も単純にドイツ語から日本語へ訳すのでは不十分で、歌詞として成り立っていなくてはなりません。つまり、芸術的な解釈が必要です。私の正直な気持ちとしては、『これは大変なことになった』でした。

 さらなる新事実は、サッカーの試合へ向かっているためか、アラバ選手は歌詞を変えて歌っていることでした。『えっ、替え歌?もう勘弁してくれ!』が、私の本音です。締め切りを間近に控え、『どうしてこの人は大事な試合を前に、この歌を歌い出したのだろうか?』との思い(憤り?)が頭の中をグルグル巡る中、「辛くも楽しい」翻訳作業に勤しみました。

2014年9月13日、FCバイエルン・ミュンヘンの練習場にて行われたU16対柏レイソルU-15の親善試合を観戦。試合は、3対1でバイエルンの勝利でした

2003年7月〜8月、日本人のサッカー短期留学を請け負いましたが、彼はFCバイエルン・ミュンヘンのU14の練習へ3回参加することができました。圧巻は、この写真のバスに同乗させてもらい、我々はU14チームと一緒に移動して、Borussia Dortmundとの練習試合も観戦することができました


最後3日間の参加だけで合格?


 全6話を通じて何度も出演していたローター・マテウスとは、2008年3月にミュンヘンで行われたドイツサッカー協会主催のB級ライセンス講習会で一緒でした。彼はご存知の通りバイエルン・ミュンヘンのかつての選手あり、ドイツ代表チームにおける最多出場選手でもあります。

 彼はしかし、この2週間の講習会へ最後の3日しか来ておらず、確かな経歴はあるもののなんともずるいと感じざるを得ませんでした。

 

 なぜならこの講習会には彼のほかにも、同じバイエルンで活躍したメーメット・ショル(第4話に登場)やミヒャエル・ヴィーズィンガーも参加していたからです。彼らは2週間、我々と一緒にすべてのプログラムをこなしたのです。

 

 丁度これから年末・年始を迎えます。ぜひ皆さんこのFCバイエルン・ミュンヘンのドキュメンタリーをじっくりご覧ください。全部で6話あります。このお休みにぴったりの作品です。4時間半、第1話から第6話までノンストップで観られた方も居ます!お酒でも飲みながら、おつまみを口に頬張りながら、この素敵な作品の鑑賞をお楽しみください。『おもしろい』と感じてもらえたら、翻訳者冥利に尽きます。Dankeschön!


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コメント: 2
  • #1

    嶋田陽造 (火曜日, 04 1月 2022 00:14)

    久しぶりに楽しいドキュメントを見ました。懐かしい選手名がたくさん出てきて、やっぱりドイツのサッカーが好きだったんだなあとしみじみ思いました。大変な仕事だったと思いますが素晴らしい出来栄えです。ありがとうございました�

  • #2

    店主 坂本健二 (火曜日, 04 1月 2022 08:23)

    嶋田さん、ありがとうございます。
    我々の世代の多くは、西ドイツ代表チームに憧れたと思います。私は中学で、白黒のユニフォームを作りました。そして高専へ入学すると、そこでも白黒のユニフォームがあり着用したほか、自分たちの世代では緑色のユニフォーム、西ドイツ代表のセカンドユニフォームに似たものも作りました。

    よく「どうして坂本さんはドイツへ行かれたのですか?スペインでもなく、イタリアでもなく」と聞かれることがあります。
    留学先として、他の国について考えたことは一切ありませんでした。ただただ『ドイツへ行きたい』とだけ夢見ていました。サッカーだけでなく、もちろんビールも一つの大きな魅力でした。